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「普通」や「常識」に縛られず、
信念を持って生きるみなかみ人。
ちょっと変、実は、めちゃくちゃスゴイ!
個性あふれる「偉人変人」たちのホンネに迫ります。
逆境も楽しもうと切り替える!
すると、人生は面白くなる
チームイーストウインド プロデューサー
竹内 靖恵
さん
逆境も楽しもうと切り替える!
すると、人生は面白くなる
チームイーストウインド プロデューサー
竹内 靖恵
さん
私は、みなかみを拠点とするアドベンチャーレースチーム「チームイーストウインド」のプロデューサー。夫はチーム創設者の田中 正人です。
プロデューサーという仕事は、海外レースの翻訳・通訳・交渉、アドベンチャーレースの魅力を伝える活動、スポンサーやチームメンバー探し、トレーニング環境の整備など多岐に渡るため、あらゆることへの好奇心がないとできません。
本来、部屋でゆっくり読書するのが好きなのに、誰かに必要とされるとつい嬉しくなってどんな仕事も引き受けてしまう…という性分です。
若い頃は海外への憧れが強く、英語が話せるとカッコイイ! 異文化に飛び込んでみたい!!という好奇心の赴くまま、20代前半からバックパッカーや海外留学、海外ボランティアを続け、海外就職まで果たします。「まぁ、どうにかなるさ」という楽観的な一面もあり、海外で様々な人種の人たちと心を通わせた経験は、人生においてとても大きな財産となっています。
今思うと、新しいことに臆せず飛び込めたのは、幼少期に育った環境が影響しているのかなぁと。家が商売をやっていたので、いろんな大人と接することが多く、今で言う多様性を受け入れるみたいな性質が知らず知らずに養われていたのかもしれませんね。
その後も通訳の仕事をしながら海外を行ったり来たりの生活でしたが、アドベンチャーレース=田中正人との出会いが私の価値観を一変させるんです。世の中に、こんな面白いレースがあるなんて!!! それからは、アドベンチャーレース=田中正人と人生を歩むことになるのですが、まさしく無我夢中。全力で走り続けてきた30年間です。
これは持論なのですが、人の一生は3部作だと考えています。
1/3期は人生において様々なことを学ぶ。人間関係、道徳、学業、社会生活、あらゆる事を経験し、チカラにしていく。頭も心もスポンジみたいに何でも吸収していく時。
2/3期は1/3期で経験したことを伸長し、深みを持たせる熟成期。仕事に就き、自分の存在意義を意識し前進する。活力が漲り、炎のごとく煌めく時。
そして残りの3/3期。これは自分自身の最高のクロージングに向かう整理整頓期。「隠居する」ということではなく、今まで培ってきた事を整理し、シンプルに削ぎ落して、前期で身に付けた事の集大成として新しい事を始める時。
今の私は3部目に突入したところかな(笑)。1/3期で学んだ、文化や国籍・宗教、言葉の壁を乗り越え”人は、ひとつになれる”という理念のもと、みなかみでファミリーアドベンチャーイベントを企画運営することが私のライフワークとなっています。
獲る、食べる、生きる。
俺は、奥利根の野遊び人だ
クマ猟師
高柳 盛芳
さん
獲る、食べる、生きる。
俺は、奥利根の野遊び人だ
クマ猟師
高柳 盛芳
さん
俺が生まれ育ったみなかみ町は、利根川の上流、関東最後の秘境と言われる奥利根の玄関口だ。こんな素晴らしいところは滅多にないと思うね。そりゃあ都会は羨ましいさ。でもここには都会にはないものがいっぱいある。
それが理解できるようになったのは30歳くらいからだけどね。その頃には、ここなら何やっても食っていけると確信していた。
もちろん、都会と比べて仕事は少ないけど、幸い家には先祖伝来の田んぼと畑があるから米や野菜は自前。庭には実のなる木がいっぱい植わっている。
そして、四季を通じて恵みがいっぱいだ。春の雪解け時期からの山菜採り、初夏のイワナ釣り、ルアーフィッシング。秋のマイタケ採り。ヤマブドウのジャム作り。いい温泉やキャンプ場があって、谷川岳は目の前、尾瀬だって近い。なっ、最高だろう?
ただこれらの遊びは、俺にとって11月に解禁される狩猟のための足慣らしだ。本業はボート屋のオヤジ、狩猟は生き甲斐だね。鳥撃ちだったお爺や親父から引き継いだ趣味なんだけど、趣味とは割り切れない。ご先祖様から受け継いできた土地の伝統みたいなものが、俺ら山国の猟師にはある。
特にこだわっているのは、「忍び猟」だ。何日もかけてクマの足取りを追いかけ、エサに気を取られているクマに勘づかれないようにそっと近づいて仕留めるやり方。ひとりか二人でやる猟だね。言ってみれば、動物対人間の、野生と野生の勝負だ。そして、命を奪った以上は責任を持って食べる。これが自然への礼儀なんだ。
俺は遊び人だけど、郷土愛は人一倍ある。それで始めたのが、「奥利根の自然を愛する矢木沢会」の活動。釣りの会じゃないよ。矢木沢ダムのゴミ拾いのボランティア団体だ。最初は、釣りをしながらひとりでコツコツ拾っていたら、ありがたいことに「俺もやるよ」って人が増えて来た。この矢木沢会の活動は20年続き終了したけど、俺は今もひとりでゴミ拾いを続けている。それは捨てる人がいまだに絶えないからだね。
俺は難しい環境論はわからないが、自然の大切さは肌でよく知っている。こうして自然を守る活動をしながら地域文化としての釣りや狩猟、野遊びを伝えていくのが役目だと思っている。
結局、その人間の生き方って最後に判断される気がするな。「そういえば、あの爺さんは何やってた人なんだい」って話になった時、「一年中、奥利根を遊び回っていた変わり者だよ」と言われたら本望だ。
人間にとっての幸せは、他人とも、
自然とも、つながること
起業・副業コーチ
塩野 哲也
さん
人間にとっての幸せは、他人とも、
自然とも、つながること
起業・副業コーチ
塩野 哲也
さん
僕は、20歳でオーストラリアに渡ってリバーガイドの仕事をしていました。99年に帰国し、縁あってみなかみへ来たんですが、最初はビックリしました。
「ここはニュージーランドか? 」と見紛うほどのポテンシャル。当時、海外にばかり目が向いていた僕は、日本の自然の良さを全く知りませんでした。都会では、人が9割だとしたら、みなかみは自然が9割以上。正直、衝撃を受けました。
オーストラリアからみなかみに移住し、様々な業界で働きました。理由は、常に自分自身が成長し続ける場所にいたいから。それと同時に、認知度の低かったラフティングやキャニオニングなどのアドベンチャーツーリズム業界を、社会的に信頼のおける事業として育てたい思いがあり、複数のアウトドア会社に移籍。より規模の大きいグローバルな会社へ異動した時、ここで壁にぶつかるんです・・・。さまざまな国籍のスタッフが在籍していたため、文化も価値観も違う人間同士の関係に真剣に悩みました。
どうしたらメンバーの力を引き出しながらまとめられるんだろう。悩んだ僕は、猛烈に学び始め、チームワーク、リーダーシップ、コミュニケーション、ファシリテーション、コーチング、カウンセリング、心理学、ナレッジ活用などさまざまな側面から総合的にアプローチする手法を身につけていきました。
結局、気づいたのはシンプルなこと。一人ひとりが好奇心を発揮して楽しめばいい。「チームで頑張ろう」、「みんなで成果を出そう」というフレーズをよく耳にしますが、チームやみんなというのは個の集まりです。「自分ごと」として取り組めば、成長につながるし、何より楽しい。やらされていると成長もなく、つまらない日々を送ることになるんじゃないかな。好奇心に蓋をせず、その場の雰囲気を楽しいと思うことができれば、気持ちが自然と体を動かしてくれます。それをチームシナジーに結びつけることが自分の役割だと自覚するようになりました。
現在は独立し、学校や企業、個人に対して、「自分でも自覚していない個人の力を発揮できるようになるキャリア教育プログラム」を提案しています。
僕自身が生涯かけて探求したいテーマは「人間が最も幸せに感じるライフスタイルとは何か」。人は一人では生きていけません。個を大切にしながら、他人とも自然ともバランスよくつながることが幸福なライフスタイルじゃないか。
信じられないほど技術革新が進む現代だからこそ、忘れてはならない「人間は自然の一部」を全身で感じられるのが“みなかみ”だと思います。
“みなかみ”の自然と人々のエネルギーが調和する、そんなハピネス観に共感して、一緒に活動する仲間を増やしたいと考えています。
チャレンジできる人生は面白い
チームビルディングファシリテーター
飲食店 経営
稲田 勇人
さん
チャレンジできる人生は面白い
チームビルディングファシリテーター
飲食店 経営
稲田 勇人
さん
僕は今、みなかみで野外教育事業に従事してします。50歳を過ぎてこれまでの人生を振り返ると、様々な挑戦の機会に恵まれていたと思います。国内外でいろいろな人と出会い、体験し、たくさんの感動をいただいてきました。
中でも大きな挑戦は3つあったと思います。
1つめは、高校時代。アメリカミネソタ州の高校に1年間留学したこと。英語もろくにできないまま初めて海外に飛び込んだんだけど、考え方も生き方も違う人たちと関わることを若いうちに経験できたことは貴重でした。
2つめは、25歳の時。ワーキングホリデーで行ったオーストラリアで、ラフティングインストラクターとして約3年間働いたこと。あれはとてもタフな経験だったなぁ…。
海外で就職するのは簡単じゃなく、人生で初めて必死で自分を見つめ直し、何で勝負するかを戦略的に考えました。当時は、日本人を含めてアジア人観光客が増えだした頃だったから、日本人インストラクターである自分がサポートすることで安心感を持ってもらえるはずとプレゼンして社員に。
50人くらいいたインストラクターの中で自分を含めて日本人はたった4人。完全にアウェイな状態だよね(笑)。英語が下手だとつい臆してしまいがちなんだけど、僕は意識して自分から積極的に仕事のチャンスを掴みに行った。やったことないことでも俺にやらせてくれってね。失敗したところで何も失うものはないから、チャレンジを楽しんでいた気がします。
3つめは、家族を持ったこと。意外かもしれませんが、自分にとって最も大きな挑戦かもしれない。 僕はこれまで野球、ライフセービング、ラフティングと、複数の人数でパフォーマンスが求められるところでやってきた経験があります。でも、家族となると勝手が違う。特に親子関係は近いだけに難しいよね。「一番大切な人間関係なのに、なぜだろう」と悩んでいた頃、チームビルディングに出会い、正直、「すべての経験がつながった!」と感動しました。今までは自己流で試行錯誤していたものが、ロジックとして裏付けができたんです。
それは、自分の価値観を押しつけるのではなく、相手の才能を探して、のばすには、自分がどう発言し、行動すべきなのか意識するというもの。以来 “人との関わり方のヒント”をもらった僕は、家族や職場での関係づくりに大いに役立てています。
僕はこれまでいろんな経験をしてきたおかげで人生がますます面白くなっています。もちろん、何をどこまで挑戦するかは一人ひとりが決めればいいんだけど、みんながいい感じで個性を発揮できる場作りをしていきたいと思っています。
山は登頂がすべてじゃない!
それを伝えるのが、
僕のライフワーク
登山ガイド
中島 正二
さん
山は登頂がすべてじゃない!
それを伝えるのが、
僕のライフワーク
登山ガイド
中島 正二
さん
僕は、みなかみのシンボル、谷川岳の麓で生まれました。子供の頃から山好きで、「あの頂きの向こうは、どんな景色だろう」といつも想像していました。それで、小学校5年生の時に初めて登ったら、後ろ側もずーっと山が続いているんだとわかった(笑)。以来、山の楽しさに取り憑かれ、半世紀以上様々な山に登り、毎回違う感動を得ています。
例えば僕の故郷の山「谷川岳」は非常に特殊な山です。標高2,000m弱ながら、3,000m級の魅力を持つ山。山頂辺りは360度の大パノラマで、富士山が南に、北アルプスの白馬岳は真西に、群馬の百名山が南から東の方にズラッと見えます。
四季を通じて、ハイキングからクライミング、スキー、バックカントリーと、色々なアウトドアスポーツが楽しめます。冬は雪が豊富ですが、初夏になると山頂付近一面が高山植物の花畑になって、それは見事なんですよ。ただし、油断をしてはいけません。気象の変化が激しく、急峻な斜面のため危険性もある。装備をしっかりして臨めば、初心者からベテランまでが楽しめる山です。
僕は登山ガイドとして、お客様に安全に登っていただくことと、実際に来てみなければわからない「山の本当の魅力」を伝えることがライフワークだと思っています。 山は登頂がすべてじゃない。山頂に行かなくても安全と達成感は得られます。 都会から来られた方によく話すのは、「ご自分の住む場所の自然と、みなかみの自然とを比べてください」ということ。自然の深さ、緑の濃さ…よく観察して、違いを体感する。このように過程から得られることが「かけがえのない価値」なんだと思います。
現在、約30人ほどいるみなかみのガイドの中で、地元出身はごくわずか。ほとんどのガイドは他所から来た人なんですよ。僕はそれがとてもいいことだと思っています。この大自然を気に入った人が来てくれて、結婚して子供を作って、根を下ろしてくれたら嬉しい。そもそもみなかみって、昔からいろんな人を受け入れる土地柄です。街道沿いに位置した温泉街だから、外から働きに来る人も多かったからね。
多様性を尊ぶウエルカムな土壌で、世界中から飛んで来た種子が花を咲かせていく。みなかみの自然を愛する想いが循環していくことは、素晴らしいことだと思います。
移住して、子育てして
「天職」に出会った!
登山ガイド
松原 美成子
さん
移住して、子育てして
「天職」に出会った!
登山ガイド
松原 美成子
さん
私は、みなかみを拠点に、谷川岳をはじめとする山々を一緒に歩く登山ガイドをしており、暇さえあれば中・高校生の子供を主人に任せて、平日休日問わず山を巡り歩いています。でも実は、登山ガイドになるなんて考えてもいなかったんですよ。
もともと体を動かすのが大好きで、若い頃からバックカントリースキーやスノーボードを楽しんでいました。そして結婚を機に自然豊かな地に移住しようということになって、かねてから気に入っていたみなかみを選びました。夫婦共通の趣味であるバックカントリースキーを思い切り楽しめるし、東京で会社員をしている主人が新幹線通勤できる距離にありますから。
移住したみなかみで子育てしながら専業主婦をしていたのですが、回覧板にあった自然ガイド募集がきっかけで、ガイドの道に足を踏み入れることに。
ある日、エコツアーで自然案内をしていたら、みなかみの名物登山ガイドの中島正二さんから「一緒に登山ガイドやってみない?」とお誘いが。「そんなの無理です!」って、即断ったんですよ。でも、正二さんから「水芭蕉は知っている?」と聞かれて「知っています」と答えたら「それなら十分!」って(笑)。そうして尾瀬でのガイドの仕事が始まって、すっかりハマりました。今では仕事も趣味も、すべて山。「もっと早くからやっていればよかった」と思うほどで、天職だと思っています。
季節によってさまざまな表情を見せてくれるみなかみの大自然ですが、意外と地元の人ほどこの素晴らしさに気づいていないようです。私が埼玉から移住して来たというと「何で来たの」って言われることもありました。案外無いものねだりになるのかもしれませんね。ここで生まれ育ったうちの子たちも都会がいいって言いますから。
お客様には、みなかみの大自然を五感で楽しんでもらえるようなガイディングを心がけています。目的地を目指すだけでなく、草木の色や匂い、感触など、歩く過程で気づいてもらうことを大事にしたいと思っています。
人とぶつかって己を知る
プロアドベンチャーレーサー
田中 正人
さん
人とぶつかって己を知る
プロアドベンチャーレーサー
田中 正人
さん
アドベンチャーレースをご存じですか?
大自然の中を地図とコンパスのみでチェックポイントを経由するルートを決め、多種目をこなしながら男女混成チームがゴールを目指すスポーツです。
地球上で最も過酷だと言われるこのスポーツに私が出会ったのは、約30年前。高校時代から競技オリエンテーリングに熱中し、サラリーマンになってからも山岳耐久レースに出て優勝していた自分に、世界最大のアドベンチャーレース『レイド・ゴロワーズ』への挑戦メンバーに加わらないかと声がかかったのです。舞台は赤道直下、95%が熱帯雨林というボルネオ島でした。
地図読み技術や山での走力には自信があったのですが、極限状態でのチーム戦は全く勝手が違いました。勝利に貢献したいと焦るほどに仲間とぶつかり、自分がいかに独りよがりだったかを思い知ることになりました。その挫折体験が私の挑戦心に火を点けたのです。「アドベンチャーレースは最高の成長の場。これに人生をかけよう」と心に決め、研究職をしていた会社を辞めて日本初のプロレーサーに転身しました。
アドベンチャーレースって、「人間力が問われる」スポーツなんです。大自然の中に放り込まれたら最後、夜間もノンストップ。不眠不休で走り続ける距離は、約600~800km。制限期間は約1週間です。その間には天候の急変や野生動物の出没など、予測できない脅威が次々と襲ってきます。極限状態の中で競技を続けるため、次第に仲間をいたわる余裕もなくって本性がぶつかり合う。それでも、いかに一人ひとりがチームのために行動できるか。まさに人間力が勝負に直結します。
1996年、アドベンチャーレースの面白さを日本の皆さんに知ってもらいたいと、国内唯一のプロチーム『チームイーストウインド』をみなかみに作りました。みなかみには、国際大会優勝を目指すために本格的なトレーニングができる環境が揃っていること、ラフティングガイドなど、チームメンバーの生活基盤となる仕事があることが理由です。
「人とぶつかり合うことで、己を知る」。体力があってスキルが高いチームが勝つわけではないアドベンチャレースの醍醐味に触れられるように、学生向けにカスタマイズしたレース体験プログラムを提供しています。困難があってもポジティブに解釈を変えたら楽しく生きられることを、ぜひ体感してもらいたいと思っています。
夢は、祖国ネパールと
日本の架け橋になること
ラフティングガイド
スンダー
さん
夢は、祖国ネパールと
日本の架け橋になること
ラフティングガイド
スンダー
さん
祖国ネパールでは、海外からの観光客を主にしたアウトドア会社に所属していました。私はそこでラフティングガイドだけでなく、新しいサービスを企画する仕事をしていたんです。ヒマラヤ山脈のトレッキングや、小型飛行機のチャーターフライトなど、日本や韓国、オーストラリアなど世界中から来られるお客さんにどうしたら喜んでもらえるかを考えていました。
そんな私が日本に来たのは、自分にとって面白いチャレンジだと思ったからです。みなかみに来てまず驚いたのは、この素晴らしい環境です。山も川も沢もあって、季節ごとに様々なアウトドアスポーツが楽しめる。こんなに恵まれた土地って、世界でも珍しいことです。ここでラフティングガイドしながら、参加してくれた人たちが「やったー!」と自信を深めていく様子を見るのがとにかく楽しい。気づけば18年、まだネパールに戻るつもりはありません。
ネパール人と日本人って気質が似ているんですよ。優しく親切で、礼儀正しい。みんなにネパールに興味を持って欲しいから、ガイドの合間にいろんな話をします。ヒマラヤ山脈の激流でラフティングした話や、女性初のチョモランマ登頂者である田部井淳子さんや80歳で3度目のチョモランマ登頂を果たした三浦雄一郎さんをネパール人が尊敬している話とかね。
私の夢は、ネパールと日本をつなぐ架け橋になることなんです。実は、祖国でアルバムを3枚出したシンガーソングライターでもあるので、日本でもライブができるといいなと、そんな夢も持っています。
ラフティングのパイオニアとITイチゴ農家との人生二毛作
ITイチゴ農家&ラフティング会社経営
安部 則幸
さん
ラフティングのパイオニアとITイチゴ農家との人生二毛作
ITイチゴ農家&ラフティング会社経営
安部 則幸
さん
世界大会の予選も行われたことがあるここ利根川の大自然を生かしたリバー・ラフティングは、今やみなかみを代表するアクティビティです。しかし29年前、僕がオーストラリアのラフティング会社に勤めた後に帰国した時は、誰も始めていませんでした。
「こんなに楽しいラフティングは、日本にもないといけない!」そう思った僕は、みなかみの漁業組合や観光協会に「ここでやらせてください!」と頭を下げて回りました。前例がないので認めてもらうのは簡単じゃなかったけど「思いついたら実行する」が僕のポリシーなんで(笑)。たった2人で始めたラフティング事業でしたが、おかげで大人気に。インストラクター仲間も続々と集まってきました。
次に課題として上がってきたのは、お客さんが減る冬季の対策です。スノーシューなどの冬季メニューを増やしたものの、スタッフみんなに一年中安心して働いてもらうには弱い。春夏が主のラフティング事業とは別に、もう一つ収益の柱が何としても必要だったのです。
そこで踏み切ったのが、現在の「観光イチゴ農園」です。意外な多角経営だと言われますが、ラフティング事業と両立するには、12月から5月までが最盛期になるイチゴ栽培しかない。さらに、水やりから温度・湿度管理まで徹底したIT化を導入して、最大限に光合成ができるように温度・湿度を調節しながら美味しいイチゴを作っています。
ハウス内は全天候対応で、お客さんが立ったままイチゴ狩りを楽しめる高床式栽培です。谷川岳の雪解け水で育ったイチゴは美味しいと好評で、初年度から目標を上回る売上を達成。おかげさまでハウスの総面積は1,800m²にまで増えて、9シーズン目を迎えています。そしてイチゴの加工品もヒット商品に。巨大な冷蔵庫で凍らせてそのまま削り「雪いちご」と名付けた冷たいデザートは、かき氷とは違う食感と本物のイチゴの味わいが女性や子供たちに大人気なんですよ。
体験旅行で来てくれた子供達には収穫体験とともに、僕のこれまでのチャレンジングなストーリーも聞いてもらっています。「好きなことで未来は創っていける!」と気づくきっかけになったら嬉しいですね。
うまくいかない時こそ、
人は成長する
マックスアウトドアツアーズ水上
マネージャー
小柿 剛
さん
うまくいかない時こそ、
人は成長する
マックスアウトドアツアーズ水上
マネージャー
小柿 剛
さん
僕は、若い頃にオーストラリアでトレーニングを始めて、ニュージーランドでラフティングガイドをしたり、ラフティング世界選手権の日本代表チームにも2回参加しました。世界のラフティング事情を知っているからこそ、みなかみのすごさがわかる。
みなかみって、都心から日帰りできちゃう近さなのに、「アウトドアの聖地」と呼ばれるほどダイナミックな自然が広がっています。水も綺麗だし、四季の変化も色濃く感じられる。たくさんの子供達に未体験の大自然を間近に感じながら、挑戦することを楽しんでほしいです。もちろん安全第一をベースにしながらね。
今の教育ってどちらかというと、成功体験を重視されがちですよね。でも僕は、なんでも「できる」や「イイね」一辺倒になって失敗を知らないでいると、いつか大人になってつまづいた時に立ち上がれなくなると思う。そうじゃなくて、自然の厳しさを目の当たりにして、「思い通りにならない」、「うまくいかない」経験こそ、宝物になるんじゃないかな。
例えば、都会の子はきれいに舗装された道に慣れているから、ゴツゴツの岩だらけの河原を僕らみたいにスッスッスとは歩けないんですよ。だからいざ災害などが起きた時に、瓦礫の中で立ち往生しちゃう。人間力って、言うなれば何があっても生き抜く力のことです。自然をよーく観察したり、とっさに判断をしたり、そうした能力がアウトドア体験を通して積み重なっていくといいなと思っています。
欲しいものは自分で作れる!
自由な発想でオリジナルを作って
みよう
七宝焼の家 / 竹灯籠クリエイター
福田 由里
さん
欲しいものは自分で作れる!
自由な発想でオリジナルを作って
みよう
七宝焼の家 / 竹灯籠クリエイター
福田 由里
さん
昔の日本人は竹を使い、竹箸、竹籠、さお竹など日用品や農具、竹とんぼなどのおもちゃまで、必要なものを作って生活していました。人間には本来、ものを作るちからが備わっているんですよね。でも、そのほとんどがプラスチック製品に取って代わられて竹が活用されなくなり、今や多くの竹林が荒れ放題の竹藪に。
私は、昔ながらの手作り体験ができる「たくみの里」で、体験工房「七宝焼の家」の講師をしながら、竹灯籠クリエイターとして活動しています。
竹灯籠というのは、11月・12月の新月の日に竹を切り、乾かした後に電動工具で穴を開けて模様をつけ、中にLEDライトを入れ明かりを灯すものです。
2020年から3年連続で開催された、日本全国のふるさとで竹あかりを灯すイベント「みんなの想火」で、群馬代表として参加しました。「自分たちのまちは、自分たちで灯す」をテーマに全国47都道府県のリーダー(47サムライ)たちとオンラインで繋がりながら行った点灯セレモニーでは、一斉に幻想的な模様が浮かびあがりすっごく盛りあがったんです。
体験される学生さんにもよくお話しするのですが、そもそも私が竹にとり憑かれた理由のひとつが ”人のつながりによく似ている” ということ。竹灯籠の点と点が線となり模様となり、景色になる。人のつながりも同じ。人が関わりあうことで、可能性が広がり、やがて見える景色も変わってくる。これは実体験から学んだことでもあります。
こうした地域イベントや祭りを彩る竹灯籠の魅力を知って欲しくて、「たくみの里」に来てくれた大人や子供達にも作り方を教えています。
七宝焼や竹灯籠作りで共通して伝えたいのは「欲しいものは自分で自由に作れるんだよ!」ってこと。
ただ、みんながいつも心配するのは「失敗したらどうしよう」。でも、何を失敗と捉えるか、なんですよね。竹灯籠だって絵柄通りに穴を開けなくていい。たとえ穴と穴がくっついても「雪だるまができた!」って喜んじゃっていいんです。欲しいイメージを自由に膨らませて、自分だけのお気に入りを作ってほしいと思っています。
そして普段は放置されたままの竹を使って手作りすることで、身近な竹林に目を向けたり、昔ながらの循環型の暮らしや、里山の環境保全にまで思いを馳せてもらえたらいいなって思っています。
農の6次産業化で先人から次世代へバトンをつなぐ
農家
本多 貞良
さん
農の6次産業化で先人から次世代へバトンをつなぐ
農家
本多 貞良
さん
うちは江戸時代から10代続く農家です。この辺りは立地条件がいいところで、何を作ってもできるんですよ。昔からの養蚕に変わる特産物を作ろうと、りんご、トマト、きのこ栽培と、試行錯誤を繰り返しましたが、そのたびに挫折(笑)。知名度のある産地に太刀打ちできなかったり、外国産との価格競争になったり。今じゃ「貞さんは何でもできる」と言われるけど、専業農家じゃ無理で、何でもやってみるしかない境遇にいたからなんですよね。人からやれと言われてできることじゃない(笑)。
そうして約30年前に、観光農業に転向しました。さくらんぼやブルーベリー、りんごなどの果樹を植えて、フルーツの収穫や、野菜や米作りの農業体験をしてもらっています。せっかく来てくれても食事するところがないよねってことで、自家製の蕎麦粉100%で作る蕎麦処と蕎麦打ち体験工房も作りました。さらに、安心・安全にこだわった農産物と加工品の直売所も営んでいます。「6次産業化」ってかっこよく聞こえるかもしれないけど簡単じゃありません。ジュースやジャムと、どうしても似たような加工品になるし、販売ルートがないと在庫を抱え込むことになるからね。
高齢化などで離農する家も少なくない中、うちは形を変えながら農業を続けてきました。今は息子2人が手分けして継いでくれています。とはいえ、孫たちの代の農業はどのように変貌しているのか、想像もつかないよね。
今、いろんな学校の子供達が農業体験しに来てくれていますが、「楽しかった」で終わらないように「農作業はやり直しがきかない」ことを伝えています。例えばトウモロコシの種まきも、浅すぎても深すぎてもいけない。みんながちょうどいい深さに植えてもらわないとその先の収穫量が変わってしまうからね。普段何気なく食べている野菜も米もりんごも、どれだけ真剣に手をかけて作られているかを知ってくれたらいい。そして、自給率など大きな視点で、食の未来を考えるきっかけにしてほしいですね。