学校教育者・保護者の方へ
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「普通」や「常識」に縛られず、
信念を持って生きるみなかみ人。
ちょっと変、実は、めちゃくちゃスゴイ!
個性あふれる「偉人変人」たちのホンネに迫ります。
夢は、祖国ネパールと
日本の架け橋になること
ラフティングガイド
スンダー
さん
夢は、祖国ネパールと
日本の架け橋になること
ラフティングガイド
スンダー
さん
祖国ネパールでは、海外からの観光客を主にしたアウトドア会社に所属していました。私はそこでラフティングガイドだけでなく、新しいサービスを企画する仕事をしていたんです。ヒマラヤ山脈のトレッキングや、小型飛行機のチャーターフライトなど、日本や韓国、オーストラリアなど世界中から来られるお客さんにどうしたら喜んでもらえるかを考えていました。
そんな私が日本に来たのは、自分にとって面白いチャレンジだと思ったからです。みなかみに来てまず驚いたのは、この素晴らしい環境です。山も川も沢もあって、季節ごとに様々なアウトドアスポーツが楽しめる。こんなに恵まれた土地って、世界でも珍しいことです。ここでラフティングガイドしながら、参加してくれた人たちが「やったー!」と自信を深めていく様子を見るのがとにかく楽しい。気づけば18年、まだネパールに戻るつもりはありません。
ネパール人と日本人って気質が似ているんですよ。優しく親切で、礼儀正しい。みんなにネパールに興味を持って欲しいから、ガイドの合間にいろんな話をします。ヒマラヤ山脈の激流でラフティングした話や、女性初のチョモランマ登頂者である田部井淳子さんや80歳で3度目のチョモランマ登頂を果たした三浦雄一郎さんをネパール人が尊敬している話とかね。
私の夢は、ネパールと日本をつなぐ架け橋になることなんです。実は、祖国でアルバムを3枚出したシンガーソングライターでもあるので、日本でもライブができるといいなと、そんな夢も持っています。
ラフティングのパイオニアとITイチゴ農家との人生二毛作
ITイチゴ農家&ラフティング会社経営
安部 則幸
さん
ラフティングのパイオニアとITイチゴ農家との人生二毛作
ITイチゴ農家&ラフティング会社経営
安部 則幸
さん
世界大会の予選も行われたことがあるここ利根川の大自然を生かしたリバー・ラフティングは、今やみなかみを代表するアクティビティです。しかし29年前、僕がオーストラリアのラフティング会社に勤めた後に帰国した時は、誰も始めていませんでした。
「こんなに楽しいラフティングは、日本にもないといけない!」そう思った僕は、みなかみの漁業組合や観光協会に「ここでやらせてください!」と頭を下げて回りました。前例がないので認めてもらうのは簡単じゃなかったけど「思いついたら実行する」が僕のポリシーなんで(笑)。たった2人で始めたラフティング事業でしたが、おかげで大人気に。インストラクター仲間も続々と集まってきました。
次に課題として上がってきたのは、お客さんが減る冬季の対策です。スノーシューなどの冬季メニューを増やしたものの、スタッフみんなに一年中安心して働いてもらうには弱い。春夏が主のラフティング事業とは別に、もう一つ収益の柱が何としても必要だったのです。
そこで踏み切ったのが、現在の「観光イチゴ農園」です。意外な多角経営だと言われますが、ラフティング事業と両立するには、12月から5月までが最盛期になるイチゴ栽培しかない。さらに、水やりから温度・湿度管理まで徹底したIT化を導入して、最大限に光合成ができるように温度・湿度を調節しながら美味しいイチゴを作っています。
ハウス内は全天候対応で、お客さんが立ったままイチゴ狩りを楽しめる高床式栽培です。谷川岳の雪解け水で育ったイチゴは美味しいと好評で、初年度から目標を上回る売上を達成。おかげさまでハウスの総面積は1,800m²にまで増えて、9シーズン目を迎えています。そしてイチゴの加工品もヒット商品に。巨大な冷蔵庫で凍らせてそのまま削り「雪いちご」と名付けた冷たいデザートは、かき氷とは違う食感と本物のイチゴの味わいが女性や子供たちに大人気なんですよ。
体験旅行で来てくれた子供達には収穫体験とともに、僕のこれまでのチャレンジングなストーリーも聞いてもらっています。「好きなことで未来は創っていける!」と気づくきっかけになったら嬉しいですね。
うまくいかない時こそ、
人は成長する
マックスアウトドアツアーズ水上
マネージャー
小柿 剛
さん
うまくいかない時こそ、
人は成長する
マックスアウトドアツアーズ水上
マネージャー
小柿 剛
さん
僕は、若い頃にオーストラリアでトレーニングを始めて、ニュージーランドでラフティングガイドをしたり、ラフティング世界選手権の日本代表チームにも2回参加しました。世界のラフティング事情を知っているからこそ、みなかみのすごさがわかる。
みなかみって、都心から日帰りできちゃう近さなのに、「アウトドアの聖地」と呼ばれるほどダイナミックな自然が広がっています。水も綺麗だし、四季の変化も色濃く感じられる。たくさんの子供達に未体験の大自然を間近に感じながら、挑戦することを楽しんでほしいです。もちろん安全第一をベースにしながらね。
今の教育ってどちらかというと、成功体験を重視されがちですよね。でも僕は、なんでも「できる」や「イイね」一辺倒になって失敗を知らないでいると、いつか大人になってつまづいた時に立ち上がれなくなると思う。そうじゃなくて、自然の厳しさを目の当たりにして、「思い通りにならない」、「うまくいかない」経験こそ、宝物になるんじゃないかな。
例えば、都会の子はきれいに舗装された道に慣れているから、ゴツゴツの岩だらけの河原を僕らみたいにスッスッスとは歩けないんですよ。だからいざ災害などが起きた時に、瓦礫の中で立ち往生しちゃう。人間力って、言うなれば何があっても生き抜く力のことです。自然をよーく観察したり、とっさに判断をしたり、そうした能力がアウトドア体験を通して積み重なっていくといいなと思っています。
欲しいものは自分で作れる!
自由な発想でオリジナルを作って
みよう
七宝焼の家 / 竹灯籠クリエイター
福田 由里
さん
欲しいものは自分で作れる!
自由な発想でオリジナルを作って
みよう
七宝焼の家 / 竹灯籠クリエイター
福田 由里
さん
昔の日本人は竹を使い、竹箸、竹籠、さお竹など日用品や農具、竹とんぼなどのおもちゃまで、必要なものを作って生活していました。人間には本来、ものを作るちからが備わっているんですよね。でも、そのほとんどがプラスチック製品に取って代わられて竹が活用されなくなり、今や多くの竹林が荒れ放題の竹藪に。
私は、昔ながらの手作り体験ができる「たくみの里」で、体験工房「七宝焼の家」の講師をしながら、竹灯籠クリエイターとして活動しています。
竹灯籠というのは、11月・12月の新月の日に竹を切り、乾かした後に電動工具で穴を開けて模様をつけ、中にLEDライトを入れ明かりを灯すものです。
2020年から3年連続で開催された、日本全国のふるさとで竹あかりを灯すイベント「みんなの想火」で、群馬代表として参加しました。「自分たちのまちは、自分たちで灯す」をテーマに全国47都道府県のリーダー(47サムライ)たちとオンラインで繋がりながら行った点灯セレモニーでは、一斉に幻想的な模様が浮かびあがりすっごく盛りあがったんです。
体験される学生さんにもよくお話しするのですが、そもそも私が竹にとり憑かれた理由のひとつが ”人のつながりによく似ている” ということ。竹灯籠の点と点が線となり模様となり、景色になる。人のつながりも同じ。人が関わりあうことで、可能性が広がり、やがて見える景色も変わってくる。これは実体験から学んだことでもあります。
こうした地域イベントや祭りを彩る竹灯籠の魅力を知って欲しくて、「たくみの里」に来てくれた大人や子供達にも作り方を教えています。
七宝焼や竹灯籠作りで共通して伝えたいのは「欲しいものは自分で自由に作れるんだよ!」ってこと。
ただ、みんながいつも心配するのは「失敗したらどうしよう」。でも、何を失敗と捉えるか、なんですよね。竹灯籠だって絵柄通りに穴を開けなくていい。たとえ穴と穴がくっついても「雪だるまができた!」って喜んじゃっていいんです。欲しいイメージを自由に膨らませて、自分だけのお気に入りを作ってほしいと思っています。
そして普段は放置されたままの竹を使って手作りすることで、身近な竹林に目を向けたり、昔ながらの循環型の暮らしや、里山の環境保全にまで思いを馳せてもらえたらいいなって思っています。
農の6次産業化で先人から次世代へバトンをつなぐ
農家
本多 貞良
さん
農の6次産業化で先人から次世代へバトンをつなぐ
農家
本多 貞良
さん
うちは江戸時代から10代続く農家です。この辺りは立地条件がいいところで、何を作ってもできるんですよ。昔からの養蚕に変わる特産物を作ろうと、りんご、トマト、きのこ栽培と、試行錯誤を繰り返しましたが、そのたびに挫折(笑)。知名度のある産地に太刀打ちできなかったり、外国産との価格競争になったり。今じゃ「貞さんは何でもできる」と言われるけど、専業農家じゃ無理で、何でもやってみるしかない境遇にいたからなんですよね。人からやれと言われてできることじゃない(笑)。
そうして約30年前に、観光農業に転向しました。さくらんぼやブルーベリー、りんごなどの果樹を植えて、フルーツの収穫や、野菜や米作りの農業体験をしてもらっています。せっかく来てくれても食事するところがないよねってことで、自家製の蕎麦粉100%で作る蕎麦処と蕎麦打ち体験工房も作りました。さらに、安心・安全にこだわった農産物と加工品の直売所も営んでいます。「6次産業化」ってかっこよく聞こえるかもしれないけど簡単じゃありません。ジュースやジャムと、どうしても似たような加工品になるし、販売ルートがないと在庫を抱え込むことになるからね。
高齢化などで離農する家も少なくない中、うちは形を変えながら農業を続けてきました。今は息子2人が手分けして継いでくれています。とはいえ、孫たちの代の農業はどのように変貌しているのか、想像もつかないよね。
今、いろんな学校の子供達が農業体験しに来てくれていますが、「楽しかった」で終わらないように「農作業はやり直しがきかない」ことを伝えています。例えばトウモロコシの種まきも、浅すぎても深すぎてもいけない。みんながちょうどいい深さに植えてもらわないとその先の収穫量が変わってしまうからね。普段何気なく食べている野菜も米もりんごも、どれだけ真剣に手をかけて作られているかを知ってくれたらいい。そして、自給率など大きな視点で、食の未来を考えるきっかけにしてほしいですね。
自伐型林業で森のアップサイクル。「自分の学校の香り」を子供たちと作る
森のアロマオイル生産者
長壁 総一郎
さん
長壁 早也花
さん
自伐型林業で森のアップサイクル。「自分の学校の香り」を子供たちと作る
森のアロマオイル生産者
長壁 総一郎
さん
長壁 早也花
さん
私たち夫婦がみなかみに移住してきたのは、2020年4月。それまでは二人とも海外青年協力隊に入って、それぞれラオスと東ティモールで国際貢献活動に従事していました。
私たちがやりたいのは「地域の資源から新たな価値を生み出し、今ここにある自然の素晴らしさを再認識してもらう」こと。それって海外じゃなくてもできることかもと思い始めた時、偶然、知り合いの故郷だったみなかみを訪れたら、とにかく自然環境が素晴らしかった。そして何よりも住んでいる人が温かい。こんな場所で人生を過ごせたらすごく幸せだなって思って。
今、私たちはみなかみ町に自宅兼蒸留所を作って、町内の森を間伐する際に切り落とされた枝葉から天然のアロマオイルを作っています。スギやヒノキ、マツなど原材料の違いはもちろん、同じ種類の木でも育った環境によって精油の香りは全く違ってくるんですよ。つまり、この豊かな森の恵みから、みなかみオリジナルの香りができる。みなかみを旅した人、あるいは離れてしまった地元出身の人が、この地で採れた香りを嗅ぐたびに思い出が蘇る、そんな「町と人がつながる」オイルを作りたいと思っています。
今、新しい試みとして、子供たち向けに精油作りを体験してもらうプログラムを提供しています。先日は地元の小学校の生徒たちに、学校にある自然素材を集めてきて「自分の学校の香り」を作ってもらいました。それほど多くの素材は集められないだろうと思っていたけど、「敷地内にこんな実がなっていたんだ!」と大人では気づかないものを集めてきてくれました。子供たちの発想ってほんとすごいです。
今まで見落としていたものが、新しい価値に生まれ変わる。そんな香り作りの体験を通して、「目に見えないものにも発見がたくさんある!!」「視点を変えれば、違った活かし方が見えてくる!!」と面白がってもらえたらいいですね。
地域とともに生きていく
7代目農家 / 「温泉農家民宿はしば」経営
田村 和寿
さん
地域とともに生きていく
7代目農家 / 「温泉農家民宿はしば」経営
田村 和寿
さん
長男は家を継ぐ。当時はあたり前の価値観でした。
私は江戸時代末期から続く農家の7代目長男として、ここで生まれ育ち、稼業を継いでいます。
今は個人のやりたいことを尊重する時代。家を離れこの地域を出る若者が増えているため、後継者不足・高齢化の問題が深刻化しています。
人がいない、仕事がない、スーパーもない。増えるのは休耕地と空き家ばかり。これが地方の現状です。
でも、ないものばかりを嘆いていても仕方がない。発想とアイデアで何とか地域を盛りあげたいと、「やる!」と決め、動き出したことがあるんです。
子供の頃は、そもそもスーパーなんてなかった。食材はほとんど自分たちの手で作っていたんですよね。私の家は養蚕農家で家の中に馬がいて、外には鶏・山羊・ウサギもいました。その頃は、たまご、山羊の乳、米、味噌、たくあんなどは自家製。薪を燃料にして料理やお風呂、暖房にしていました。今で言う「持続可能な循環型社会」だったと思います。
何でも買えば手に入る現代ですが、「消費から循環へ」という価値観の変容も確かにあると感じています。この時流を捉え、地域活性のため60歳にして新たな事業をスタートしました。
ここには、豊富な温泉が湧き出ているし、かつては三国街道の宿場町として人やモノの往来で発展した歴史があります。
このように、もともとある資源を活用し、農業と観光をミックスした滞在型の体験宿泊施設や農業未経験者の就農をサポートする仕組み作り、温泉熱や太陽光発電などで地球環境負荷を抑えた農業にも、挑戦しています。
温泉を使って何かできる!この地域を活性化したい!!
すべては、地域とともに暮らし続けるために。
半世紀以上、夫婦で作り続けた木製カスタネット
。
ローカルを極めたら
、
グローバルから注目!
カスタネット職人
冨澤 健一
さん
半世紀以上、夫婦で作り続けた木製カスタネット
。
ローカルを極めたら
、
グローバルから注目!
カスタネット職人
冨澤 健一
さん
子供の頃、カスタネットをたたいたことがあると思います。赤と青で塗られた、あのコロンと丸い形の打楽器は、実はみなかみで初めて作られ、日本中に出荷されていたんですよ。
終戦後、東京のある音楽教師から「教育用のリズム楽器を作って欲しい」と頼まれたのが私の父でした。見本にしたのは、「ミハルス」っていう四角い板を蝶つがいで繋いだ楽器。それを子供の手に収まりやすいあの丸い形にしたのは、父がこけしやお盆など「丸い」土産物を作る木工職人だったからだろうね。
1960年頃、全国の小学校にカスタネットが採用されてからは、猛烈に忙しくなりました。うちの工場を含めて周辺の4工場だけで全国向けの生産を担っていたからね。
私も10歳から家業を手伝い始め、以来、半世紀以上、夫婦二人三脚で作り続けてきました。しかし、原材料となる良質の国産ブナ材が入手困難になったことで2013年に生産を終了。やっと二人でゆっくりできると思っていた矢先、町の「赤谷(あかや)プロジェクト」のために「どうしても!」と頼まれ、半年後には全く違うスタイルで復活することに…。
それは、塗装をしない無垢仕上げの「森のカスタネット」。いろんな種類の木材で作るから、素材そのものの音色や手触りの違いが楽しめると、木育(もくいく)にも活用されています。
この「森のカスタネット」は、みなかみ町にある“赤谷(あかや)の森”の間伐材を使っているんだけど、木が細かったり、若かったり、必ずしも木製カスタネット作りに最適とはいえない。うまくいかないこともあり、かえって手間ひまがかかる。だからこそ、木の特徴を見極めながらひとつひとつ手作りしているよ。
「赤谷(あかや)プロジェクト」とは自然環境保全の取り組みのこと。そのひとつにこの区域に昔から生息している絶滅危惧種”イヌワシ”の狩場を守る活動があって、間伐材はこの計画的な森林伐採によるもの。
こうして長年、木製のカスタネットを作り続けていたら、「SDGsにふさわしいノベルティグッズとして使いたい」と、海外の有名ブランドや、国内の遊園地、セレクトショップから「森のカスタネット」の注文が入るようになって驚いているよ。木製カスタネットもイヌワシ保護の活動も、持続可能性を高めるものとして注目されているのかもしれないね。
ただ、この仕事では食べていけないから、残念ながら後継ぎはいないんだよね。