インタビュー
モリさんがクマ猟師になったホントの理由
男の子
…なぜ、猟を始めたの?
俺が住んでいる、みなかみ町の高日向地区では、鉄砲やる家は2軒くらいだったんだけどね。俺んとこはお爺も親父も鉄砲撃ちで、俺が猟をやるのは自然の流れだったんだろうね。
最初の猟体験はウサギだ。小学5年になった時、お爺が家の裏山で罠の仕掛け方を教えてくれたのさ。ウサギの通り道を狙った罠の掛け方を覚えたことが、今思えばクマ獲りにも役立っているよ。獲物の行動をよく観察することが、猟の基本だからね。
女の子
…クマを獲るようになったのはなぜ?
最初は大物猟なんてやるつもりなかったよ。
40年以上前、まだこの辺にはシカもイノシシもいなくて、山奥の方にクマがいるくらい。それにお爺も親父も鳥撃ちだからクマのことはわからない。
当時、みなかみ地区には80人くらいの猟師がいて、「クマを獲って一人前」という気風の土地だった。だから、鳥撃ちは何かと馬鹿にされてね。それがしゃくだった俺は何とかクマ獲りになりたかったんだけど、相手にしてもらえない。
悔しい思いをしていたら、たった一人だけ「おめえクマ獲りになりたいんかい」と声をかけてくれた。それが通称「将軍爺」。もう亡くなった伝説のクマ獲り名人で、俺にとって生涯の師匠だ。
クマ撃ちは、野生と野生の真剣勝負
男の子
…初めてクマを撃ったときの話を聞かせて。
最初は25歳の時、師匠にクマの「見切り」を教わっている時だった。「見切り」っていうのは、足跡とかエサを食った痕跡からクマの行動を読む方法だ。
最初にめっけたのは爺だ。尾根の真ん中に黒い塊がいて、エサを食っていた。「ここからだと遠すぎるから、裏から回ってお前が撃て!」と言われて距離にして130m位のところまで接近して撃った。4発撃って2発は当たったのに倒れない。なんと、クマがこっちへ向かってきた。弾は後1発しかない。緊張で足がガタガタ震えたね。
勇気を振り絞って最後の弾をドンと撃ったら、当たって転げ落ちた。けど薮に入られて取り逃がしちまった。
失敗はしたけど、俺は度胸っていうものを学んだ。クマに対して引き金を引く自信がついたのさ。
女の子
…それで、クマ撃ちを仕事にしたんですか?
爺はクマ獲りで食っていたけど、俺は本業が別にあるから仕事にしていない。
俺にとって鳥や獣を獲ることは、子供の頃から生活の一部だ。ご先祖様から受け継いできた土地の伝統のようなもの。その意味で、都会に住んで休みに田舎に出かけて鉄砲を撃つハンターとは、猟に対する思い入れが違うんだ。
クマ撃ちは動物と人間、野生と野生の真剣勝負だ。「見切り」をして「ここに確かにいる」って判断して、とことんクマを追いかける。失敗すれば逆襲されるから生半可な気持ちじゃ撃てない。少なくとも俺はクマを含めた自然に対する感謝の気持ちを大事にしている。
男の子
…クマのニュースをよく聞きます。
みなかみでも餌を求めてクマが出没している。それで、お役所が駆除に積極的になっているんだ。
ただ、俺は行き過ぎた駆除はどうかと思う。クマをどのくらいおっかないと感じるかは人それぞれだけど、絶やしちゃダメだ。クマが絶滅したらどうなるか、自然界へのしっぺ返しは必ず来るだろうね。
山の恵み、渓の恵み。みなかみには全てがある
女の子
…モリさん流、みなかみの楽しみ方って?
イワナ釣りだろう、サクラマス釣りだろう、それに沢登り。マイタケ採りに山菜採り。米や野菜作りもできるし、ヤマブドウのジャムやワインも楽しめる。
自分の住んでいる田舎がいかに恵まれているか。それを知ったのはあるお客さんのひと言だった。「モリちゃんちの水はうまいね」。この辺じゃ、普通の沢水の水道なんだけど感激して帰りにボトルに詰めてもって帰った。へえ、そんなに違うもんか。都会になくて田舎にあるものって、つまりこういうことだとわかったね。
男の子
…最後に、僕たち学生に伝えたいことはありますか?
最近の大人は子供に危ないことをさせないけど、面白いことって、大抵は危ないんだよ。失敗して肝を冷やすことも大事でそこに反省と学びがあると思う。
俺たちはものがなかったから、欲しいものは自分の手で工夫して作ってきた。俺は学校の勉強は好きになれなかったけど、人生に大事なことはみんな自然から教わった気がする。
刃物の扱い方、火のおこし方、川遊び、楽しさも怖さもひっくるめて、子供たちに伝えることが俺たちの役目。俺たちがそれをしなかったら、この先誰が教えるんだ?と思っているよ。
「クマ猟師」 高柳 盛芳 (たかやなぎ もりよし) 通称 モリさん
群馬県水上町生まれ。自動車整備工、バーテンダーなどを経て、ボートショップを経営。地域文化としての釣りや狩りの技、アウトドア遊びを教えるネイチャーガイドとしても活躍。